幸せな島―新しい生き方とは

島に移住しました。島の生活とそこから学んだ生き方について。

島に移住した人にインタビュー その1

島と人を知ってもらうためにインタビューしました。

動画はこちらです。

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―今日は。今日は下蒲刈に移住された方にインタビューしたいと思います。高島さんという方で、それではお願いします。

はい、よろしくお願いします。

―今紹介しました高島さんという方で、7年ぐらい前に、どこから移住されたのでしたか?

はい。7年前に、僕は出身が愛知県、妻が大阪で、直近の住所とすると愛知県ではあるんすけど、その3ヶ月前くらいまでは二人でパラオという南の島にいたので。

―僕は一人でこちらに移住してきたんですけれども、ご夫婦というかご家庭で移住されてきたということで、また全然、移住のためのいろんな苦労とかもあると思うので、その辺には興味があるところなんですよ。移住されてきたいきさつというか、お話しいただければ。どういうきっかけであったとか。

そうですね。南の島で暮らしていて日本に帰ってきて、二人とも海が好きだったので、海が見える環境で暮らしたいというところで、島暮らしと仕事とお家を探していたところ、地域おこし協力隊という制度に出会って・・・。全国の移住セミナーみたいなものが東京のビックサイトでありましたので、そこに夫婦で出向いて、呉のブースで島の方とお話する中で、あーこの島いいなあというふうに思ったので、応募させていただいて採用されたというところです。

―そうですか。そういう呉(市)も出しているような移住を勧めるような催しがあったんですね。

そうですね。地域おこし協力隊というのは、ある程度、半分ぐらいのブースに特化されていたので、協力隊の説明会というような場所でしたね。

―地域おこし協力隊というのは、その地域に行って何年か住んで生活を共にしながらその地域の活性化に協力する、そういう制度ですね。それでこの島がよさそうだなということでこられた・・・。地域おこし協力隊の任期は3年と伺っているんですけれども、その間はどのようなことをされたんでしょうか。

そうですね。『とびしマーレ』というマルシェみたいなイベントをしましたかね。最初は2店舗から始めて全部で5回やったんですが、最後は20店舗ぐらい出て、売上も300万円ぐらいいくというようなある程度大きな・・・。地域のいいものがいっぱいあったので、外に発信したいというところで、総合的なマルシェイベントみたいなものをさせていただいて・・・来場者数がぼくの記憶では二千人ぐらい来ました。島にそれだけの人が来る可能性があるというのを、口では言っていたんですけど、それを証明しないとやっぱり信じてもらえないのかなと思ったので、そのためにがんばっていろいろ工夫をこらしたというところですかね。

―はい、わかりました。今お話に出てきた『とびしマーレ』というのは、
――とびしまというのは、この下蒲刈の島が本土から一番近いところで、そこから下蒲刈を含めて4島(4島は間違いで、実際は7島)を――
とびしま海道と呼んでいます。そこの産物を売るイベントをされたということですね。

そうですね。はい。

―3年間、もちろん他にも色々されたと思うんですけれども、私も島を自転車で散歩していると時々面白い案内板があるので、それも高島さんがされたと伺っています。
来られた時点で、3年任期の後もここに住もうというのは考えてはったんでしょうか。

そうですね。漠然と――皆さんにやさしくしてもらったので――住み続けられたらいいかなというようなスタンスではありましたかね。

―協力隊に来られたのは7年前と伺ってますので、3年任期の後、4年間こっちに住んでいらっしゃるということです。協力隊が終わった後、実際に住んでらして、どのような仕事とかをされているんでしょうか。

協力隊の任期中にレンタサイクルをやり始めました。本来レンタサイクルというのはある程度行政がやって、観光に寄与するというのが目的として大きいのですけど、それをするために市や県や、色々と打ち合わせをし、いろいろなことがあったんですけれども、最終的には行政さんの方でやることが難しいということになって、民間でやることになりました。
今僕がいる梶ヶ浜というところを指定管理している会社さんにレンタサイクルをすることによって必ず地域は元気になる、地域のためになるというのをお話しさせてもらって、初期投資していただいて始めました。
その会社で僕がレンタサイクルの仕組みを作ったので、そのまま(地域おこし協力隊を)卒業後も、是非レンタサイクルを含め梶ヶ浜の指定管理者として島の活性化に寄与してほしいとお話をいただいたので、そこでサラリーマンをしているのと・・・
後は、それだけじゃなくて、自分のやりたい地域活性という部分があるので、観光やスポーツというところで、市役所さんとかといっしょに自分の会社でお仕事をさせていただいております。

―はい、わかりました。レンタサイクル関係で縁があった会社に勤めると同時に自分でも会社をしておられるということですね。

はい、そうですね。

―ご家族は奥様とお子様が3人と伺っております。

はい、そうですね。全部で5人家族になります。

―ちょうどこの間、インタビューのお願いをした後で、高島さんがスポーツ振興大賞というのを取られました。大変おめでたいことですけれども、それは高島さんがやっていられるスポーツ系のイベントの方の大賞なんでしょうか。

そうですね。とびしま海道の7つの島と7つの橋を全部フィールドにする100キロマラソン『とびしまウルトラマラニック』というのを2018年、協力隊を卒業した年からさせていただいていて、その大会が関係人口作りというか、いずれは移住につながるというような目的を掲げて、イベント民泊という制度を使ったりとか、途中で休憩するところでの食事のメニュー(提供)、オンライン開催、特産品の販売などが、地域といっしょになってやっているという評価をいただきまして、地域スポーツ振興賞の、一番いい大賞というのをいただきました。

―なるほど。では、自分でされている会社のイベントの方も順調に進んでいると。

そうですね。コロナで、できてないものはできてないんですけどね。

―それは仕方がないことですから。
で、以前は愛知県やパラオにおられたということで、この島に来られて、比べてでもいいですし、この島の特徴というか何かそういうのを感じられることがあったら教えてほしいんですけれども。人とかでも結構ですし、この島だけでなく、とびしま全体でも結構です。印象、ですかね。特徴というと数え上げないといけない気がするかもしません。

そうですね。地域の人は、今残ってらっしゃるのは非常に年齢が高い方達で、僕らみたいなちっちゃい子どもがいる現役世代の人は非常に少なくて、皆さん島外に出て、広島市内とか呉市内とか町の方に行きたがる。だから将来的にあんまり明るい展望をお持ちでない方がすごく多いのかなというような、正直な印象なんですけれども、僕らからすると、まだまだすごく可能性があるんだろうなあというのは思ったりする。僕はたまたまマラソンが好きだったので、そういう100キロ走る大会を企画して、500人が真冬に一万六千円払ってくるという、ちょっと特異なイベントをしたんですけど、そういうところでも象徴されるように、何か工夫をすると人が来たりとか、可能性が非常にあるんだなあというのが、僕の島の印象ですね。それを一個一個証明をして、地域の人にも、もうひとふんばり、ふたふんばりというか、いっしょになって未来を明るくできればなあというのは常々思っているところですかね。

―ありがとうございます。
最初に、呉の協力隊の案内の時のブースに行かれて、いい島だなとおっしゃいましたけれども、そのときはなぜいい島だなあと思われたのですか。

そこで会った人ですかね。地域の方とお話する中で、僕らが真剣に住む場所を考えていることに対して真摯にお答えをいただいたという印象があったところでしたね。

―わかりました。
 ――今順調にお仕事やイベントをされていると思うんですけれども、大体ある程度伺ったような気もするんですけれども――
今後どのようなことをしていきたいとか、あるいはこの地域の展望というものが、他にもありましたら教えていただきたいんですけれども。

そうですね。僕の後に地域おこし協力隊の子がこの島には二人来たり、来年には募集があれば隣の島も含めて非常に多くの協力隊員が来るような予定にはなっております。ある程度、外から人が来て今までできなかったことができるようになる可能性はあるのかなと思っています。
ただ、例えば20年後を思い浮かべると、そのときの日本ってどうなっているかはみんな想像できなくて、20年後は相当変わってる、この地域も大きく変わっている可能性があって、それが生きてるのか死んでるのかとなると、あれ?何人ぐらいおるんだろう(笑)という話になると、僕らのやっていることって本当に何の意味があるんだろうというところにいってしまうので、あまりそういう先のことは見ずに、やっぱり2、3年先を見つめて今できることを一生懸命やっていくということで、少し未来が明るくなったり笑顔が増えたりというところができたらいいのかなというふうに思っています。

―はい、わかりました。ありがとうございます。
では最後に――私の聞きたいことは大体伺ってような気がするんですけれども――特にお話しされたいこととか、メッセージとかありましたらお願いします。

誰向けにメッセージなんですか(笑)。

―これを聞いている人です、100人ぐらいですかね。

そうですね。僕はあまり関係人口ということばはあまりすきではないんです。逃げのことばだと思っているので。ただ、志賀さんがこうやって動画撮っていただいて見ていただくことというのが、僕と今まで接点のない方だったりするわけなので、知っていただいて僕に興味あるなあと思ったら多分これも関係人口になるとは思うんです。その先にもう一歩深い関係人口にしていきたいなといういうに思っていますので、興味あれば是非島に遊びに来て、お話ししましょうというところです。

―僕もこっちへ来て関係人口ということばを始めて知ったんですけど、もう一つありますね。(下※の交流人口のこと)
関係人口というのは遊びに来る方ですかね? それとももうちょっと交流が深い方ですか?

観光以上移住未満ということばを、ざっくり・・・。ふるさとを思い浮かべるというのも関係人口ですし、移住の一歩手前の二拠点というのも関係人口の一つだったりして、非常に曖昧なことばではあるんですけど。やっぱり日本は人口減なので、そこ(関係人口)にしていかないと、移住者を獲得となるともう右肩上がりにはいかないわけですよね。なので、そういうことばで、地域を元気にする指標というか、そういうことばになっていますかね。

―最後はちょっと脱線しましたけれども、そういう高島さんでした。本日はありがとうございいました。

ありがとうございました。

※交流人口・・・通勤通学観光などでその地域を訪れる人々。定住人口の反対概念。

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