幸せな島―新しい生き方とは

島に移住しました。島の生活とそこから学んだ生き方について。

島で活動を始めた人にインタビュー その2

島と人を知ってもらうためにインタビューしました。

動画はこちらです

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―今日は。今日は島に来て4年になられるっていう方に・・・お名前も言っていいですか? 角幡さんという方にインタビューをします。私が角幡さんを存じ上げたのは、この島に来てから、シェアハウスがある、ということで、ちょっとネットでチャチャッとさがしていたんですけれども、そしたら何と北海道から移住してこられたということで、えー! とか思ったので、どうしてこっちに来られたのかとかいうことなどをインタビューさしてもらいたいと思います。では角幡さん、よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

―そしたらまず最初ですね、この島に来られたいきさつなどをお聞かせ願えますか。

はい。島に来る半年前くらい、当時は東京にいたんですけど――9ヶ月ぐらいしかいなかったんですけど――東京の生活を始めて半年ぐらいで、もう北海道に帰ろうかな、みたいな感じになっていたんですけど、たまたまお知り合いの方で、広島県の人とつながっている方がいらっしゃって。広島県庁の事業で「広島里山ウェーブ」という、都心の若い人達を広島の中山間地域と言われるところに遊びに来てもらおう、そこから関係人口、交流人口の創出につながればいいというものがありまして、それにたまたま参加することになったんですね。その時に初めて来たのがこの下蒲刈島なんです。

―そうですか。(広島県が)そういうことやっていたんですね。

そうです。当時で3年目とか、今だと5年目6年目ぐらいですか。コロナで去年はオンラインで交流するみたいだったと思うんですけど。おととしまでは通常にやってたかなと思います。
それで、島の存在自体をまず知って、いい所だなあと思って。地元と比べた時に、住みたい(ということ)もそうですし、なにかやりたいというのもこっちかなあみたいなものがありつつ・・・たまたま私の前の代の地域おこし協力隊の方がいて、その方が次の年度には卒業して、いないということで、来年度からの地域おこし協力隊員を募集してるんだよという話がありまして、だったら応募してみようかなという感じで・・・。そしたら、ありがたいことに採用していただいて、2018年の4月から地域おこし協力隊員になって、来たという感じですね。

―地域おこし協力隊っていうのは呉市の組織ですね。呉市で、いろんな地域に外部の若い方中心に地域おこしに協力してもらうという組織ですね。

そうですね。もとは総務省の(ものです)。手を上げている市町村とか地域とかに希望する方が行くみたいな形ですね。

―それでこっちに。地域おこし協力隊の任期が3年と聞いてますので、少なくとも3年はこっちにいることになったという。

そうですね、はい。

―その後こちらに・・・今年4年目ということで、任期を終えてまだ――まだというと(変ですが)(笑)――こちらに住んではるわけですね。それはやっぱりこっちでいろいろやりたいなということですか。

そうですね。なんかこういうこと言うと反感買うかも知れないですけれど(笑)、特に他に行きたいところとかやりたいことがある場所がないというのもあるんです、今のところ。結構自由気ままに、その場のノリみたいな感じで決めてきたところがあるので・・・。

―それは、自分もそういうタイプなんでよくわかります。

島の方には長く住んでもらえたらうれしいと言っていただくのはすごくうれしいことなので、今のところはしばらく、何か自分がやりたいこととか行きたいところが、見つからない限りはここかな、と思っているんですけど。

―続いて、この島に住んでらして、地域おこし協力隊でいろいろ活動をされていたと思うんですけれども、それを終えて、今はどのようなお仕事とか、暮らしをされているんでしょうか。

一応地域おこし協力隊の3年目、去年の4月30日にシェアハウスを島の中にオープンしまして、それを運営しながら今年の3月に任期が終了したので、3月から、島の中の財団に雇用していただいて、財団の施設働いています。今は松濤園という朝鮮通信使の資料とか古伊万里を展示している施設なんですけど、そこで事務員をしながら、というような感じですね。

―この島を、例えば北海道とか東京とか、今まで暮らしてこられた、住んでこられたところと比べて何かこの島は印象がちょっと違うとか、いいところとか何か感じられたことがありましたら教えていただきたいんですけれども。

昔ながらの地域性というか。今は、例えば東京とかだと隣に誰が住んでいるのか分からない、知らないという状況じゃないですか。そうじゃなくて、島全体が家族みたいな、お互いのことを知っていて。それは善し悪しあると思うんですけど、お互いを気遣い合っている感じとか・・・。遊びに来た人たちにも・・・、受け入れる姿勢というか、ホスピタリティがすごくて、そこが素敵なところだな、日本ぽいなと思って。

―そうですよね。私も前住んでいたのが京都なんですけど、いうても京都もやはり都会なので東京とにてますね。となりの人が何をしているか知らないとかね。私もおっしゃっていることがとてもよくわかります。
今少し伺ったんですけれども、今後何をするかということは、いろんな可能性を持ってはると思うんですけれども、今はこの島でシェアハウスをして、後は財団の方で働いてはると。今後はまたどんなことをしたいとか、思ってはることはありますでしょうか。

そうですね。シェアハウスをオープンしたといってもコロナ禍になってすぐぐらいだったので、あまり知っていただけていない状態でもありますし、今もちょっと空っぽの状態なんですよ。ちょっと宝の持ち腐れみたいな感じになっているので・・・。
今、結構(コロナが)落ち着いている状態でもあるので、もう少しPRする、発信するのを多くしたりとか、イベントだったりとか、小さいものからやっていきたいなっていうのがまずありますね。シェアハウスを通じて島を知ってもらうとか、人のつながりをもっと強くするような催しをしたいなと思っています。

―シェアハウスに住まれて、こっちの協力隊になられた方もいらっしゃいますね。

そうですね。ありがたいことに。

―一回知ってもらえれば、気にいってもらえる可能性も出てくるし・・・。私もこっちにリンクとか貼って、協力できる範囲で(協力)したいと思います。この動画を見ていただいて興味を持って下さる方がいらっしゃればなあとも思っています。

ありがとうございます。

―他には何か考えてはることが(ありましたら)。

健康に生きる、ですかね(笑)。あんまりお金をたくさん使うとか派手な生活は好みではないので・・・。本当に島の方たちがゆったり過ごしているふうな生活が、今後も――今と同じような感じなんですけど(笑)――つづいていければいいなあと思います。

―そうですね。お若いのに悟ってらっしゃる感じですね(笑)。僕も、健康であれば幸せだなあとか思っているんですが、それは僕ぐらいの年になるとね、そう思うんですけど(笑)。

旅行だったりとか、いろんな所に行くのも好きなので、それもぼちぼちできているのもあって、日常の生活はゆったりでいいかな(笑)というふうに思っています。

―それは、僕なんかは島に来て、どっちかというと教わったことです。そういうところはありますかね、この島には。

そうですね。人生とか仕事とか、もろもろ込みで、若干焦っていたとこはあるんじゃないかなと思うんです。漠然とした不安とか(が)、北海道にいたときもそうですし、東京に行ったときもそうですけど、あったにはあったんですけど・・・。
――最初は地域おこし協力隊としてきているので、まったくこのへんのこととか・・・、知り合いとかがいない状況だったので、別の不安もあったりしたんですけど。――
そういう大きな不安というようなものがなくなって、心が落ち着いた生活ができているなと思いますね。

―ありがとうございました。他に、この際、何かお話しされたいことががありましたら・・・。

やっぱりおじいちゃんおばあちゃんばかりの地域なので・・・。少しずつ若い人達が増えてはいるにはいるんですけど、まだまだ他のがんばっている地域に比べたら少ないので、私たちと同じ年代とか・・・、なんかやってみたいなという人達にも来てもらえたら・・・。おじいちゃんおばあちゃん達のパワーがすごすぎるので(笑)、そういう生命力みたいな所からパワーをもらって、「やろう!」みたいな気持ちにもなれると思うので、ぜひ一度来てほしいなと思っています。

―今日はどうもありがとうございました。

ありがとうごさいました。

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瀬戸内海 朝